November172009
国宝 中尊寺金色堂西北壇諸仏 (岩手・中尊寺金色院蔵) (via エシカル・ライフのすすめ : 世界遺産登録をめざす、みちのくの都・平泉 - livedoor Blog)

国宝 中尊寺金色堂西北壇諸仏 (岩手・中尊寺金色院蔵) (via エシカル・ライフのすすめ : 世界遺産登録をめざす、みちのくの都・平泉 - livedoor Blog)

November32009
木心乾漆千手観音立像(国宝) 唐招提寺千手観音
像高540cm  「木心乾漆造」では最古最大の像です  正式の名称は「十一面三眼千手千眼観音菩薩」  千本の手の掌に「眼」を描いてあります (via 奈良の文化と芸術 唐招提寺金堂の仏像)

木心乾漆千手観音立像(国宝) 唐招提寺千手観音

像高540cm  「木心乾漆造」では最古最大の像です  正式の名称は「十一面三眼千手千眼観音菩薩」  千本の手の掌に「眼」を描いてあります (via 奈良の文化と芸術 唐招提寺金堂の仏像)

5AM
木心乾漆薬師如来立像(国宝) 唐招提寺薬師如来
像高340cm  「Y字型衣文」は弘仁・貞観時代の特徴です  左手の掌に銅銭「和銅元年(708)鋳造の和同開珎」「天平宝字4年(760)鋳造の万年通宝」「延暦15年(796)鋳造の隆平永宝」が塗り込まれています  「釈迦如来」といわれた時期もあったようです (via 奈良の文化と芸術 唐招提寺金堂の仏像)

木心乾漆薬師如来立像(国宝) 唐招提寺薬師如来

像高340cm  「Y字型衣文」は弘仁・貞観時代の特徴です  左手の掌に銅銭「和銅元年(708)鋳造の和同開珎」「天平宝字4年(760)鋳造の万年通宝」「延暦15年(796)鋳造の隆平永宝」が塗り込まれています  「釈迦如来」といわれた時期もあったようです (via 奈良の文化と芸術 唐招提寺金堂の仏像)

5AM
本尊・乾漆盧舎那仏坐像(国宝) 唐招提寺盧舎那仏
像高305cm  目尻が上がり男性的で厳しい表情をし、胸幅はがっちりとした堂々たる像で「大仏」といえる風格がある像です  衣の襞は大波、小波の繰り返しの「翻波式衣文」  「両足首」を衣で隠している珍しい様式です  「光背」は珍しい千体仏を付けた「千仏光背」で、現在、化仏864体のうち332体が創像当時のものです (via 奈良の文化と芸術 唐招提寺金堂の仏像)

本尊・乾漆盧舎那仏坐像(国宝) 唐招提寺盧舎那仏

像高305cm  目尻が上がり男性的で厳しい表情をし、胸幅はがっちりとした堂々たる像で「大仏」といえる風格がある像です  衣の襞は大波、小波の繰り返しの「翻波式衣文」  「両足首」を衣で隠している珍しい様式です  「光背」は珍しい千体仏を付けた「千仏光背」で、現在、化仏864体のうち332体が創像当時のものです (via 奈良の文化と芸術 唐招提寺金堂の仏像)

November12009
当寺に関する古い記録や縁起でも触れられておらず、この像の伝来や当寺との関係は今だなぞに謎に包まれています。肉身に微妙な抑揚を表し、薄い衣に流麗な衣文を刻むのは、インド・グプタ彫刻の影響をとり入れた中国唐代彫刻に連なるとも見られていますが、童顔の清純さと端正な整いとの混ざり合った造形には、すでに私たち日本人の好みが反映しているのでしょう。
深大寺 釈迦如来倚像(白鳳仏)

当寺に関する古い記録や縁起でも触れられておらず、この像の伝来や当寺との関係は今だなぞに謎に包まれています。肉身に微妙な抑揚を表し、薄い衣に流麗な衣文を刻むのは、インド・グプタ彫刻の影響をとり入れた中国唐代彫刻に連なるとも見られていますが、童顔の清純さと端正な整いとの混ざり合った造形には、すでに私たち日本人の好みが反映しているのでしょう。

深大寺 釈迦如来倚像(白鳳仏)

October132009
そこで、ある特設展示場に用意されたのが、住職の説法の様子を3D映像で伝えるものである。 仏像をバックにして、住職が3D映像で現れ、見物人に説法するのである。そこで人々は、徳のある高僧のありがたい説法を厳粛に聞くのだ。 (via Techinsight » 【アジア発!Breaking News】3D映像で説法。由緒正しき寺院の仰天儀礼。)

そこで、ある特設展示場に用意されたのが、住職の説法の様子を3D映像で伝えるものである。 仏像をバックにして、住職が3D映像で現れ、見物人に説法するのである。そこで人々は、徳のある高僧のありがたい説法を厳粛に聞くのだ。 (via Techinsight » 【アジア発!Breaking News】3D映像で説法。由緒正しき寺院の仰天儀礼。)

October112009
縁あって、展示が終わり、像が奈良へ帰る時に、観音像の魂を抜く儀式に立ち会うことが許されました。 法隆寺の方がいらして読経した後、何かを振った瞬間、魂だけ先に奈良へと帰りました…という。 その後、木だけの身体が到着したら、改めて魂を入れるということでした。 (via 百済観音 : つながりキーワード一覧 - 関心空間)

縁あって、展示が終わり、像が奈良へ帰る時に、観音像の魂を抜く儀式に立ち会うことが許されました。 法隆寺の方がいらして読経した後、何かを振った瞬間、魂だけ先に奈良へと帰りました…という。 その後、木だけの身体が到着したら、改めて魂を入れるということでした。 (via 百済観音 : つながりキーワード一覧 - 関心空間)

9AM
法隆寺百済観音 (via 花のかたち 飛鳥仏の構造)

法隆寺百済観音 (via 花のかたち 飛鳥仏の構造)

9AM
この像は金堂の壇上で、釈迦三尊像の後ろに北向きに安置されていたもので、今は新築された百済観音堂に安置されていますが、この像の伝来は謎に包まれています。法隆寺の最も重要な古記録である747(天平19)年の「法隆寺資財帳」などにも記載がなく、いつ法隆寺に入ったのかわかっていません 。1698(元禄11)年の「諸堂仏躰数量記」の金堂の条に「虚空蔵立像、七尺五分」と、初めてこの像についてと思われる記事があらわれ、江戸時代、1746(延享3)年、良訓が記した「古今一陽集」に「虚空蔵菩薩、御七尺余、此 ノ尊像ノ起因、古記ニモレタリ。古老ノ伝ニ異朝将来ノ像ト謂ウ。其ノ所以ヲ知 ラザル也」と記されているといいます。 (via 世界文化遺産 法隆寺地域の仏教建造物)

この像は金堂の壇上で、釈迦三尊像の後ろに北向きに安置されていたもので、今は新築された百済観音堂に安置されていますが、この像の伝来は謎に包まれています。法隆寺の最も重要な古記録である747(天平19)年の「法隆寺資財帳」などにも記載がなく、いつ法隆寺に入ったのかわかっていません 。1698(元禄11)年の「諸堂仏躰数量記」の金堂の条に「虚空蔵立像、七尺五分」と、初めてこの像についてと思われる記事があらわれ、江戸時代、1746(延享3)年、良訓が記した「古今一陽集」に「虚空蔵菩薩、御七尺余、此 ノ尊像ノ起因、古記ニモレタリ。古老ノ伝ニ異朝将来ノ像ト謂ウ。其ノ所以ヲ知 ラザル也」と記されているといいます。 (via 世界文化遺産 法隆寺地域の仏教建造物)

October72009
“奈良国立博物館の岩田茂樹・学芸部長補佐は「平安時代には仏像内に高僧の遺骨などが納められた例がある。鎌倉時代になって高僧以外の人物の遺物を納める形式が広まってきたことを示す仏教信仰上の重要な資料だ」と話している。” 安養寺・阿弥陀如来立像:仏像から人の歯と毛髪 「遺物納める仏教信仰示す」 /滋賀 - 毎日jp(毎日新聞)
← Older Entries Page 1 of 3